1 はじめに
  今年の11月にアメリカ合衆国大統領選挙が実施されることは周知の事実であり、日本のみならず全世界がどの動向を注視している状況にある。同大統領選挙においては、既に民主党のジョー・バイデン現大統領(以下「バイデン氏」という。)と共和党のドナルド・トランプ前大統領(以下「トランプ氏」という。)が、一騎打ちということが決まっている。すなわち、トランプ氏が大統領に返り咲く可能性も十分にあるのであり、そのようなトランプ氏が再選することに危機感を覚える方々が、「もしトランプ氏が再選したら」いわゆる「もしトラ」(若しくは、「ほぼトランプ氏が再選」、略して「ほぼトラ」)として、警戒感を強めている。
  アメリカ大統領の政治政策は、同盟国である日本にも大きな影響を与えることは間違いなく、それが企業経営等にどのような影響を与えるかを予測して、出来る限りの備えをしておく必要性が存在する。トランプ氏は、大統領に再選した際の政策としての公約集として「アジェンダ47」を公表しており、アメリカファーストの外交政策費の復活、防衛費の大幅増強等の様々な公約を掲げている。トランプ氏が大統領に復帰すれば、当然これらの公約実現を図ることが想定されるが、仮にバイデン氏が再選するとしても、ごく僅差での再選となることが想定され、「国民融和」の名の下、事実上トランプ氏の公約の相当程度を政策に取り込まざるを得ないことが想定される(実際、バイデン氏も、対中貿易政策等ではトランプ氏の一期目の政策を事実上継続している。)。
  このように、トランプ氏の政策による我が国への影響は広範に及ぶが、その中でも我が国の企業経営に特に大きな影響を与えることが懸念される公約の1つとして、普遍的基本関税の導入や中国依存の排除が挙げられるであろう。トランプ氏は、中国からの輸入品に対して60%の関税を課すとも発言しており、それらによる輸入、物流への影響が強く懸念される。
  もし、このような関税強化が実施された場合は、関税審査にかかる時間の長期化が発生し、納品期限を徒過してしまうこと(以下「納品遅延問題」という。)や仕入れ等の原材料費が通常想定される限度を超えて高騰し、当初契約通りに商品が製造出来ず納品が出来ないこと(以下「仕入コスト高騰による問題」という。)が予測される。
以下では、我が国の法律の適用を前提として、これらの問題が発生した場合の契約当事者間における損害賠償等の問題について検討をする。

2 納品遅延問題について
  アメリカによる関税強化を原因とした納入遅延等の場合、基本的には、「遅延」であることから、「不能」ではなく、あくまで債務の履行遅滞という問題と捉えられる。すなわち、まずは民法に従い履行遅滞に基づく債務不履行責任を納入側が負うかどうかである。
  多くの取引においては契約書が締結されていると考えられるが、仮に、当該契約書において上記を理由とした納品遅延についての特別な記載があれば、それに従うことは議論の余地の無いところである。
  しかしながら、そのような契約書な記載が特段になされていない場合や特に解釈の余地があるのは単に一般的な「不可抗力免責規定」(Force Majeure)のみが記載されている場合である。
まず、契約書に何ら記載が無い場合には、民法に従うことになり、同法第415条には、「債務者の責めに帰すべき事由によって履行することができなくなったとき」は、債務不履行に基づく損害賠償を負うと規定されている。つまり、その反対解釈として、債務者の責めに帰すべき事由によらない場合は損害賠償を負わないのであり、その帰責事由があるといえるかどうかが問題となる。
次に、一般的な不可抗力免責規定のみが記載されている場合には、不可抗力事由に該当するといえるかどうかが問題となる。
  そして、令和2年4月2日付けトピック(新型コロナウイルスの影響による納入遅延等に基づく損害賠償及び解除にかかる諸問題について | 智進法律事務所 (chishin-law.jp))において新型コロナウイルスによる納品遅延の問題において検討した際と同様に、本来は民法上の帰責事由があるといえるかどうかという問題と不可抗力の定義等については、多くの学説が存在し議論されているところであり、同一に論じることができないものであるが、本件では実務上の問題点に関する一定の見解を示すものという趣旨から、帰責事由と不可抗力を一体的に考察するものとする。そのため、以下では両者を併せて「不可抗力等」と表現する。
  そして、このような不可抗力等については、その要件が多義的であるが、基本的には、外来の偶発的事由、当事者の統制の及ばない事由と考えられている。
  また、国際物品売買契約に関する国際連合条約第79条⑴には、「当事者は、自己の義務の不履行が自己の支配を超える障害によって生じたこと及び契約の締結時に当該障害を考慮することも、当該障害又はその結果を回避し、又は克服することも自己に合理的に期待することができなかったことを証明する場合には、その不履行について責任を負わない。」と規定する。
そうすると、これらを参考にして、簡略化すると、事業の外部の偶発的事情から発生した出来事で、かつ、契約時に予測が出来ず、通常の注意を尽くしてもその発生を防止できないものをいうとするのが妥当であると考えられる。
これを前提に検討すると、アメリカのように外国の外交政策が変更されたこと自体は、事業の外部の偶発的事情から発生したものであるといえるだろう。
もっとも、問題は、関税強化による納入遅延が、各契約時に予測出来たかという点(予見可能性)、納入遅延を通常の注意を尽くしても防止できなかったか否かという点(回避可能性)になる。
前者の予見可能性の点については、トランプ氏が共和党候補に選出されアメリカ大統領選挙に出馬することは本稿記載時には既に明らかになっているため、予見可能性が十分に満たされているといえる。では、共和党候補に選出される前の段階ならばどうか。その場合でもアメリカ大統領選挙は世界における最重要関心事項であり、それに関してトランプ氏が共和党候補に選出される可能性が高いことやその公約が常に報道されていることからもやはり予見可能性は充たすと判断するのが妥当に思われる。
後者の回避可能性の点については、上記のとおりトランプ氏の公約の公表によりトランプ氏が実際に再選されるより相当程度の期間の猶予があった以上は、その予測に基づき回避策を検討し講じることも可能と考えられるため、原則的には充たされると考えざるを得ないであろう。
したがって、トランプ氏がアメリカ大統領に再選し、公約通りに関税強化を行い、それを原因として納品遅延が発生したとしても、契約書に特別な記載が無い場合や一般的な不可抗力規定があるのみでは、それに基づく損害賠償責任を免れるのは困難であると考えられる。

3 仕入コスト高騰による問題
  仕入コスト高騰による問題についても原則として、アメリカの政策等による物価高騰(インフレ)を原因として通常想定される限度を超えて仕入コストが高騰した場合について個別契約書に特別な記載がある場合はそれに従って処理される。
  他方、そのような記載が無い場合や一般的な不可抗力規定のみがある場合は、上記⑴と同様に、予見可能性の点と回避可能性の点から判断されることになる。
  まず、予見可能性という点については上記⑴で述べたとおり、トランプ氏が共和党候補に選出される可能性が高いことやその公約から対中関税の引き上げ等の保護主義政策を実行すること等は十分に予見可能である。ただ、それが我が国の仕入れコストが通常想定される限度を超えて高騰する事態を招くことまで予見可能であったといえるかが別途問題になる。しかし、トランプ氏の掲げている公約や発言では、普遍的基本関税や対中関税の引き上げ等については我が国の物価高騰を招くことが容易に予見可能である。特に対中関税の大幅な引き上げが実行されると、日本企業が中国においてアメリカから輸入した原材料を用いて製造された半製品を日本に輸入して完成品とする取引を想定すると、対中関税引き上げによる仕入れコストの急騰は容易に想定される。そうすると、やはり予見可能性は基本的には充たすと考えられるであろう。
  次に、回避可能性の点についても、やはり、トランプ氏の公約の公表によりトランプ氏が実際に再選されるより相当程度の期間の猶予があった以上は、その予測に基づき回避策を検討し講じることも可能と考えられるため、原則的には充たされると考えざるを得ないであろう。
  したがって、トランプ氏がアメリカ大統領に再選し、公約に掲げられた政策等を実施した結果、急激な物価高騰(インフレ)が起こり、仕入コストが通常の想定を超えて高騰した場合でもその責任は商品を製作・納品する側にあり、不可抗力等による免責は困難であると考えられる。

4 『契約書の重要性』
  ここまで説明してきたとおり、「もしトラ」によって発生する可能性のある事象により納品遅延問題や仕入れ価格高騰による取引への影響が発生したとしても原則として、不可抗力規定による免責は困難であると考えられる。そうすると、もし現時点で既に契約書を締結済みであり、このような問題の影響が懸念されるにも関わらず特段の規定の無い状況である企業は、既に述べて来た予見可能性に基づき、それらを回避又は軽減するための行動を行っておくべきことが考えられる。例えば、仕入材料の輸入先の分散化等である。そのような回避又は軽減のための行動を取っていなければ、「もしトラ」に基づく影響が出た場合に契約から逃れることは出来ないため、そのような企業は非常に苦しい状況に陥ってしまう可能性がある。
そして、何より本稿でしっかりとお伝えしたかったのは、『契約書の重要性』である。上記で述べた解釈は、「もしトラ」によって取引が影響を受けた場合、契約書においてそれらについて特段に記載が無かった場合や契約書の雛形集に掲載されているような一般的な不可抗力規定しか存在しなかった場合に必要になるものである。
  しかしながら、既に繰り返し述べているように、契約書に「もしトラ」を予測してあらかじめ対応方法等を明記してあれば、問題への対処は容易であり、解決策を取ることが出来る。さらに、紛争を予防できることはいうまでもないところである。
  そうすると、契約書が如何に重要なものであるかを理解していただけるだろう。また、単にインターネットや書籍の雛形集にある契約書例をそのまま使用することや知識・経験も無く一部のみ修正し利用することにリスクが存在する。
  情報が錯綜し、目まぐるしく変化する状況においては、契約書は取引における最大の要であり、それに関しては専門家である弁護士に十分に相談し、作成されることを強く勧めるものであり、願わくば、その結果、取引紛争が予防され円滑な取引により経済がさらに発展することを望むものである。

                             以上