新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が、気温や湿度が下がった北半球を中心に拡大している。各国でワクチン開発が急ピッチで進められているものの、安全なワクチンの開発には未だ至っていない。
そのような中で,今のところ、2021年夏に東京オリンピック・パラリンピック(以下,両者を併せて「東京五輪」という。)の開催が予定されている。また,徐々にではあるが,その他のスポーツの国際大会や,実際に人が集まる国際的な大規模イベントが再開されつつある。このような国際的なイベントでは,感染が拡大している国や地域からの参加者が多数来訪することが想定され,イベント参加者や関係者の感染リスクが予想される。
そこで,以下では,東京五輪を題材に,東京五輪が開催された際,その関係者が新型コロナウイルス感染症に感染した場合に起こり得る法律関係を整理する(ただし,他国や,他国の法人・団体等との法律関係は除く。)。
なお,本投稿は,一部未発表又は未確定の事実を前提としており,今後の事実経過や,国・東京都等の対応如何により、内容の変更がありうることをご了承いただきたい。
1 ボランティアが新型コロナウイルス感染症に感染した場合
東京五輪のホームページによると,公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下「東京五輪組織委員会」という。)がボランティアを募集し,研修を行う主体となっていることから,東京五輪開催時においては,ボランティアに対する指揮・命令を行う主体となるものと思われる。そして,東京五輪組織委員会は,ボランティアが安全にボランティア業務に従事できるよう配慮し,その生命,身体及び財産の安全を確保する義務(安全配慮義務)を負う。
そうすると,東京五輪開催に当たり(大会の前後を含む。),ボランティアが新型コロナウイルス感染症に感染した場合,当該ボランティアは,東京五輪組織委員会に対し,安全配慮義務違反に基づき,損害賠償を請求することができるものと思料される。
この場合,因果関係が問題となりうるが,ボランティアに対しては,PCR検査が定期的かつ頻回にわたって実施されるはずであるし,大会期間中及び大会前後に一定程度の外部からの隔離措置も採られるものと思われるため,東京五輪のボランティア業務中の感染であることの証明は比較的容易であろう。他方,東京五輪組織委員会は,当該ボランティアがボランティア業務外で感染したことを立証して免責を図ることになろうが,当該ボランティアとの接触可能性のあるボランティア,参加者及び関係者にも感染者が存在する場合は,当該ボランティアが東京五輪組織委員会の明確な指示に反して業務外で感染者と接触したことを立証できない限り,免責は困難と思われる。
2 協賛企業等の従業員がボランティアとなり感染した場合
では,仮に,協賛企業等が,従業員に業務としてボランティア参加を命じていた場合はどうか。
この場合も,東京五輪組織委員会との関係では,上記1と同様である。
では,企業の責任はどうか。まず,完全な任意参加の場合,仮に従業員がボランティア業務において新型コロナウイルス感染症に感染しても,当該従業員を雇用する企業が何らの責任も負わないことは当然である。他方,企業が従業員に対してボランティア参加を命じた場合、ボランティア業務そのものが当該従業員の業務であるため,労働者災害補償保険法にいう労働災害に該当するだけではなく,当該企業は安全配慮義務違反として損害賠償責任を負う。問題は両者の中間の場合であるが,企業が参加を積極的に促すだけにとどまらず,上長から個別に参加を要請される等,参加を事実上拒否できないような状況にあったか否かで区別されることとなろう。
では,従業員に対して安全配慮義務違反による損害賠償を余儀なくされた企業や,企業に代わって労働災害補償の上乗せ保険に基づく保険金を支払った保険会社(労働者災害補償保険法による労働災害補償の上乗せ保険の保険者)は,東京五輪組織委員会に対して求償ないし保険代位による求償をすることができるであろうか(労働災害補償をした国も東京五輪委員会に求償できるが,東京五輪委員会が国や東京都によって設立された法人である以上,求償は現実的ではないため,検討対象から除外する。)。この問題は,すなわち,当該従業員との関係で,東京五輪組織委員会が安全配慮義務を負うかという問題である。したがって,上記1と同様,東京五輪組織員会は,当該従業員に対して安全配慮義務違反を負うため,企業や保険会社は,東京五輪組織委員会に対して求償できるものと思われる。
3 参加者やコーチら関係者が感染した場合
東京五輪のホームページによると,「組織委員会は、JOC、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会、日本パラリンピック委員会(JPC)、東京都、政府、経済界、その他関係団体と共にオールジャパン体制の中心となり、大会の準備及び運営に関する事業を行います。」とされており,東京五輪組織委員会が東京五輪の運営主体となるようである。
そして,東京五輪組織委員会は,参加者やコーチら関係者の関係で,参加者が安全に競技に集中しその実力を遺憾なく発揮できるよう,参加者やコーチら関係者の生命,身体及び財産の安全を確保すべき義務(安全配慮義務)を負う。そうすると,参加者やコーチら関係者が東京五輪に当たって(大会の前後を含む。)新型コロナウイルス感染症に感染した場合,当該参加者又はコーチら関係者は,東京五輪組織委員会に対し,安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求できるものと思われる。
この場合も,因果関係が問題となりうるが,上記1で述べたボランティアの場合と同様,参加者やコーチら関係者側の立証が比較的容易と解される一方,東京五輪組織委員会側の反証は困難と思料される。
ところで,東京五輪が感染リスクの高いイベントであるため,参加者やコーチら関係者の自己責任であり,東京五輪組織委員会が安全配慮義務違反を負わないとの主張も考えられる(いわゆる「危険の引き受け」の議論)。しかし、仮にそのような側面があるとしても,参加者やコーチら関係者は,運営主体である東京五輪組織委員会が感染防止対策を徹底していることを当然の前提として参加しているはずであるし,参加した場合に確実に感染する,あるいはその可能性が高いという訳でもない。したがって,上記のような主張をしても,東京五輪委員会が安全配慮義務違反を免れる可能性は低いと思われる。
4 観客が感染した場合
上記3のとおり,東京五輪組織委員会は,東京五輪の運営主体である。そして,東京五輪組織委員会は,東京五輪の観客が安全に競技を観戦(会場入場から退場までを含む。以下同じ。)できるよう観客の生命,身体及び財産の安全を確保すべき義務(安全配慮義務)を負う。そうすると,観客が東京五輪の観戦の際に新型コロナウイルス感染症に感染した場合,当該観客は,東京五輪組織委員会に対し,安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求できるものと思われる。
もっとも,観客の場合,観戦と新型コロナウイルス感染症の感染との因果関係の立証は相当に困難で,特定の競技において感染クラスターが発生する等して報道がなされる等しない限り,因果関係は立証できないのではないだろうか。
では,マラソン,競歩,トライアスロンのように,観戦チケットがなくても観戦できる競技で,観戦チケットを持たない観客が新型コロナウイルス感染症に感染した場合はどうか。この場合,東京五輪組織委員会に安全配慮義務を課すほどの特別な関係があるとはいいがたいため,観戦チケットを持たない観客が新型コロナウイルス感染症に感染したとしても,東京五輪組織委員会が責任を負うことは原則としてないというべきであろう。ただし,給水所や折り返し地点等,観客が多数集まることが予想される地点であるにもかかわらず,立ち入り禁止等の感染防止対策を採ることなく観客が多数集まり,感染が発生した場合,東京五輪組織委員会に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求できることはありえると思われる(もっとも,観戦チケットがないため当該観客の感染場所の立証が困難であり,観戦チケットのある観客以上に,因果関係の立証は極めて困難であろう。)。
5 警備業者や会場・選手村への出入業者の従業員が感染した場合
警備員,食材・飲食物等の納入業者の従業員,選手村の給食業者・清掃業者・寝具クリーニング業者の従業員等,東京五輪の会場・選手村への出入り業者の従業員が新型コロナウイルス感染症に感染した場合はどうか。
この場合,まさに当該従業員の業務中の感染であることから,労働者災害補償保険法にいう労働災害に該当するほか,当該従業員は,使用者に対し,安全配慮義務違反による損害賠償も請求できると思われる。ただし,新型コロナウイルス感染症の感染に関する労働災害の認定は比較的緩やかに行われているようであるものの,安全配慮義務違反における因果関係の立証は困難であろう。
では,従業員に対して安全配慮義務違反による損害賠償を余儀なくされた使用者や,使用者に代わって労働災害補償の上乗せ保険に基づく保険金を支払った保険会社は,東京五輪組織委員会に対して求償ないし保険代位による求償をすることができるか。上記2のとおり,この問題は,当該出入り業者等の従業員との関係で,東京五輪組織委員会が安全配慮義務を負うかという問題である。上記のとおり,当該従業員は,使用者である事業者に対して安全配慮義務違反を追及することができるため,東京五輪組織委員会に対して安全配慮義務違反による損害賠償を請求する実益に乏しいが,当該事業者や上乗せ保険の保険会社にとっては,東京五輪組織委員会に対して求償する実益がある。
抽象的には,東京五輪委員会は,警備員や出入り業者の従業員に対しても,その業務を安全に遂行できるよう生命,身体及び財産の安全を確保すべき安全配慮義務を負っているという余地はあろう。そして,会場内や選手村内において長時間業務に従事し,不特定多数人と接触する警備員や給食業者の従業員が業務中に新型コロナウイルス感染症に感染した場合は,東京五輪組織委員会が安全配慮義務に違反したということができる場合があるものと思われる。しかし,納入業者,清掃業者及び寝具クリーニング業者の従業員等,会場内や選手村内での業務時間が短く,また不特定多数人との接触が想定されていない者については,因果関係の立証が困難であることもさることながら,東京五輪組織委員会として,どのような感染防止対策を採ればこれらの従業員の感染を予防できるのか判然とせず,東京五輪組織委員会に対して具体的な安全配慮義務を課すことは困難と思われる。
したがって,警備員や給食業者の従業員のような会場内や選手村内において長時間業務に従事し,不特定多数人と接触する者が新型コロナウイルス感染症に感染したような場合は別として,使用者や保険会社が東京五輪組織委員会に対して求償することは相当困難であろう。
いずれにせよ,東京五輪の際に会場や選手村に従業員が立ち入る事業者におかれては,従業員の新型コロナウイルス感染症の感染リスクは無視できず,また求償にも相当な困難を伴うため、労働災害補償の上乗せ保険の加入は必須である。
6 さいごに
以上、様々な感染者の発生リスクと検討してきたが,この問題は東京五輪だけに限られるものではなく,国際的な大規模イベントであれば起きうるリスクである。運営者となられる事業者におかれては,様々な関係者の感染によって安全配慮義務違反を問われるリスクがあることに十分ご留意頂きたい。また,出入り業者におかれては,従業員の感染により当該従業員に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負うこととなる一方で,運営者に対する求償が困難であることから,労働災害補償の上乗せ保険には必ず加入されるよう徹底されたい。
※本トピック掲載の記事につきましては、転載自由となっております。
転載された場合、転載先のサイト様を紹介させて頂きますので、是非ご連絡いただければと存じます。
この弁護士に相談が出来る、智進ダイレクトへ