新型コロナウイルス感染症については、高齢者らに対するワクチン接種が徐々に進む一方で、感染力の強いデルタ株の蔓延もあり、若年層を中心としたワクチン未接種者の感染拡大が止まらず、令和3年4月23日に発出された3度目の緊急事態宣言が対象区域の拡大・縮小を続けながら期間が延長されるとともに、まん延防止等重点措置も一部で発出されている状態にある。
若年層についてワクチン接種が進まない原因として、特に都市部でのワクチンの絶対量が十分ではないという実態があるものの、医学的根拠のない副反応に関するデマの拡散に加え、接種後に高熱や倦怠感等が高確率で発現することが大きいといわれている。
そこで、以下では、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種時の賃金支払の要否、及びその直後の欠勤等の賃金控除の可否等について検討する。
1 他のワクチン接種等との比較
⑴ 定期健康診断における賃金支払の要否
まず、ワクチン接種ではないが、比較的近いものとして健康診断における賃金支払の要否を検討する。
年1回以上の定期健康診断については、事業者の義務とされており(労働安全衛生法44条)、特に後者については就業時間内に事業所内で行われることが多く、特に賃金控除はされていないものと思われる。
もっとも、定期健康診断の実施日が休日に当たる労働者や、定期健康診断が就業時間外に外部の医療機関等で行われる場合には、賃金を支払う必要はあるか。この点については、厚生労働省がQ&A形式で「健康診断は、一般的な健康確保を目的として事業者に実施義務を課したものですので、業務遂行との直接の関連において行われるものではありません。そのため、受診のための時間についての賃金は労使間の協議によって定めるべきものになります。ただし、円滑な受診を考えれば、受診に要した時間の賃金を事業者が支払うことが望ましいでしょう。」との見解を示しており、賃金の支払義務はないこととなる(健康診断を受けている間の賃金はどうなるのでしょうか?|厚生労働省 (mhlw.go.jp)。この見解が法的に正当であるか否かはともかく、事業者としては、厚生労働省がこのような見解を示している以上、定期健康診断について賃金を支払う必要はないこととなる。
ただし、放射線業務に常時従事する労働者で管理区域に立ち入る者、除染等業務に常時従事する除染等業務従事者あるいは石綿等の取扱い等に伴い石綿の粉じんを発散する場所における業務に常時従事する労働者及び過去に従事したことのある在籍労働者、屋内作業場等における有機溶剤業務に常時従事する労働者、鉛業務に常時従事する労働者、高圧室内業務又は潜水業務に常時従事する労働者等、一定の危険な業務に従事する労働者に対して実施される特殊健康診断については、厚生労働省も上記Q&Aにおいて見解を示しているとおり、「業務の遂行に関して、労働者の健康確保のため当然に実施しなければならない健康診断ですので、特殊健康診断の受診に要した時間は労働時間であり、賃金の支払いが必要」(同上)である。
⑵ 他のワクチン接種における賃金支払の要否
では、新型コロナウイルス感染症以外の感染症(季節性インフルエンザ等)のワクチン接種時及びその直後の休暇に賃金を支払う義務はあるか。
予防接種法9条1項により、予防接種が努力義務とされている以上、新型コロナウイルス感染症のような未曽有の規模の感染拡大がない限り、新型コロナウイルス感染症以外の感染症のワクチン接種時に賃金を支払う義務はない。
なお、このように、新型コロナウイルス感染症以外の感染症のワクチンについては、接種時に賃金を支払う義務がない以上、その後の遅刻、早退、欠勤の賃金控除も許される。
2 新型コロナウイルス感染症のワクチン接種時の賃金支払の要否
⑴ ワクチン接種命令が可能な労働者の場合
予防接種法9条1項にかかわらず一部の労働者に対してはワクチン接種を命じることができると考えられる点については、令和3年4月26日付トピック「新型コロナウイルス感染症のワクチン接種命令に関する諸問題」(新型コロナウイルス感染症のワクチン接種命令に関する諸問題 | 智進法律事務所 (chishin-law.jp)のとおりであるが、ここでは、まず、事業者がこのようなワクチン接種を命じることのできる労働者に対してワクチン接種を命じた場合、当該労働者のワクチン接種時に賃金支払義務を負うかを検討する。
この点、事業者が新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を命じている以上、就業時間中にワクチンを接種した場合に賃金控除をすべきではないことは勿論、就業時間外にワクチンを接種した場合にも賃金を支払うべきものと思われる。
⑵ ワクチン接種命令ができない労働者の場合
もっとも、令和3年4月26日付トピック「新型コロナウイルス感染症のワクチン接種命令に関する諸問題」(新型コロナウイルス感染症のワクチン接種命令に関する諸問題 | 智進法律事務所 (chishin-law.jp)で検討したワクチン接種を命じることのできない労働者であるにもかかわらず、事業者がワクチン接種を命じた場合はどうか。
ここでは、ワクチン接種命令が可能な労働者と区別すべきという考え方もありうる。
しかし、たとえワクチン接種を命じることができない労働者であっても、新型コロナウイルス感染症が市中で蔓延している状況下において、事業者としては、少なくとも主観的にはワクチン接種が業務遂行上必要と考えてワクチン接種を命じているのである。そうだとすれば、たとえワクチン接種を命令することのできない労働者であっても、ワクチン接種時に賃金を支払わないことを正当化することは困難であると思われる。
したがって、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を命じることのできる労働者であるか否かを問わず、現に事業者がワクチン接種を命じた場合、ワクチン接種時の賃金支払義務は免れないものと思われる。
3 新型コロナウイルス感染症のワクチン接種直後の欠勤等における賃金控除の可否
⑴ ワクチン接種命令が可能な労働者の場合
令和3年4月26日付トピック「新型コロナウイルス感染症のワクチン接種命令に関する諸問題」(新型コロナウイルス感染症のワクチン接種命令に関する諸問題 | 智進法律事務所 (chishin-law.jp)においてワクチン接種命令が可能と考えられる労働者に対してワクチン接種を命じたところ、その労働者に高熱等の重い副反応が発現し、遅刻、早退あるいは欠勤を余儀なくされた場合、賃金控除は必要か。
統計上、新型コロナウイルス感染症のワクチンの場合、特に2回目の接種後には高熱や強い倦怠感が発現する割合が高いようである。そのような認識が一般化されている状況下において、事業者が労働者にワクチン接種を命じ、その結果、労働者に高熱等が発現し、遅刻、早退あるいは欠勤を余儀なくされたにもかかわらず、事業者が賃金控除をすることを正当化することは困難であろう。
もっとも、副反応の軽重には個人差があるため、副反応が軽微で就労が可能であるにもかかわらず欠勤をした労働者に対する賃金控除は許容される。
したがって、労働者からワクチン接種後の副反応を理由に欠勤等をしたいとの申し入れがあった場合は、適宜、体温や症状を申告させる等して就業の可否を検討し、就業が困難な状況であると判断された場合に限り賃金控除を行わないとの運用も考えられる。ただし、かかる運用は煩雑な上、就労の可否の判断にも相当な困難を伴うため、ワクチン接種を命じるとしても、労働者の休日前にワクチンを接種させる等が現実的であろう。
⑵ ワクチン接種命令ができない労働者の場合
この点、ワクチン接種時においても検討したとおり、たとえワクチン接種を命じることができない労働者であっても、新型コロナウイルス感染症が市中で蔓延している状況下において、事業者としては、少なくとも主観的にはワクチン接種が業務遂行上必要と考えてワクチン接種を命じているのである。そうだとすれば、たとえワクチン接種を命令することのできない労働者であっても、ワクチン接種を命じた結果、その労働者にワクチン接種後に重い副反応が発現し、遅刻、早退あるいは欠勤を余儀なくされた場合に事業者が賃金控除をすることができるとするのは不合理である。
したがって、ワクチン接種命令ができない労働者であっても、事業者がワクチン接種を命じた結果、その労働者にワクチン接種後に副反応が発現し、遅刻等を余儀なくされた場合の賃金控除の可否については、上記⑴と同様に考えるべきであろう。
4 さいごに
上記においてワクチン接種命令があった場合においてワクチン接種時の賃金支払義務の有無や、ワクチン接種後の欠勤等の賃金控除の可否等について検討してきたが、上記は、感染力が極めて強く、また重傷化リスクも高い上、効果的な治療薬もまだ見当たらない現下の新型コロナウイルス感染症の感染拡大状況に限定した私見であり、他の感染症を想定したものではないし、今後の新型コロナウイルス感染状況、効果的な治療薬の普及状況、ワクチンの接種状況、集団免疫の獲得状況等を織り込んだものでもないことに留意されたい。
事業者各位が労働者に対してワクチン接種を命じるか否かに悩む必要のない状況が早期に訪れることを願ってやまない。
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