2024年7月3日から新紙幣が発行される。我が国では、現金決済の比率が高いが、徐々にキャッシュレス決済の比率が上昇しており、この流れが今後も続くことは間違いない。
そして、経費のキャッシュレス決済も徐々に広がっている。従業員がコーポレートカード等、事業者名義のキャッシュレス決済を用いて経費を使用するのではなく、従業員が自らのキャッシュレス決済手段を用いて経費を支払うことも考えられる。
この場合、その従業員が、キャッシュレス決済手段によって得られるポイントを取得したり使うことは許されるのであろうか。以下では、まず、ポイントに類似する存在の割引券やクーポン券の取扱い等について検討した上、ポイント取得や利用に関する許否の基準や、許されない場合の対応等について検討する。
1 割引券やクーポン券の取り扱い
まず、従業員が経費をキャッシュレス決済した際に紙の割引券やクーポン券を受け取った場合について考えてみる。
これらの割引券やクーポン券は、事業者負担の経費としての支出により取得した商品やサービスに付帯して配布されるものであるため、事業者に帰属すべきものと思われる。
したがって、厳密にいえば、従業員がこれらの割引券やクーポン券を自己の商品やサービスの購入時に使用することは、業務上横領罪(刑法253条)や窃盗罪(刑法235条)を構成することとなりうるが、よほど大量の割引券やクーポン券を使用するようなことがない限り実際に立件される可能性はごく低いであろう。
また、事業者として、従業員が経費を使った際に受け取った割引券等を使用したことをもって懲戒処分や解雇をすることは、よほど大量の割引券等を使用した場合でもない限り難しく、せいぜい口頭注意にとどまるであろう。
さらに、事業者が従業員に対して不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条)や不当利得返還請求(民法703条、704条)をすることも考えられる。しかし、事業者が割引券等を取得できなかったことそのものによる損害の算定は困難であるため(事業者が実際に割引券等を使用する予定があったことに加え、割引額がいくらかの立証は極めて困難である。)、従業員が割引券等を使用して割引等を受けられた額を請求することができるに過ぎないものと思われる。
なお、以上については、従業員が現金で経費を立て替えた場合に割引券等を受け取った場合でも同様である。
2 ポイントの取り扱い
では、従業員が、経費をキャッシュレス決済で支払った際に付与されるポイントはどうか。
(1)就業規則でポイントの取得や利用等について定めがない場合
就業規則において、従業員が経費を立て替える際にポイントを取得することや自己利用すること等を定めていない場合は、従業員が経費をキャッシュレス決済で支払った際にポイントを取得し、そのポイントを自らのために利用したとしても、事業者は、その従業員を処分することができないものと思われる。また、この場合においては、事業者が従業員に対して損害賠償請求や不当利得返還請求をすることもできないであろう。
(2)就業規則においてポイントの取得や利用に関する定めがある場合
① 就業規則においてポイントの取得や利用を禁止している場合
就業規則によって従業員が経費を立て替える際にポイントを取得することや利用することが禁止されている場合は、当然、従業員がポイントの付与される決済手段を使用することは就業規則に違反することとなる。
そして、ポイントが付与されないキャッシュレス決済手段は、存在しないものと思われるため、事実上、キャッシュレス決済を利用することができなくなる。従業員が経費を立て替えることがほとんどない場合には、このように割り切った対応を採ることもありうると思われるが、従業員による経費の立替が頻繁にある場合には、キャッシュレス化の流れに逆行し、経費精算が非効率となるばかりか、現金を持たないことが多い若い従業員からは不興を買うおそれもある。
② ポイント取得を報告させて管理する場合
そこで、考えられるのは、単に経費立替時のポイントの取得や利用を禁止するのではなく、従業員に経費立替時に取得したポイントを報告させ、事業者が管理し、次回以降の経費立替時にそのポイントを利用させるといった対応である。
もっとも、事業者としては、従業員が経費立替時に取得したポイントを把握すること自体困難である上、仮に把握できたとしてもポイントについて会計処理が必要となりうる等、事務が煩雑となるため、このような対応を採るか否かはよく検討する必要がある。
事業者としては、自身のポイント管理の手間やコスト、従業員の手間を考慮し、正面から従業員が経費を立て替える際にポイントを取得することを認めることも選択肢となり得るであろう(ただし、この場合でも、経費の立替が多い従業員とその他の従業員との公平を図るため、個人名義でのキャッシュレス決済の利用額に上限を設ける等の対応も必要となろう。)。
3 ポイント取得・利用の違反者への対応
就業規則において、従業員が経費を立て替える際にポイントを取得することや利用することが禁止されている場合、あるいは、従業員に経費精算時に取得したポイントを報告させ、事業者が管理し、次回以降の経費立替時にそのポイントを利用させる制度が採用されているにもかかわらず、従業員がこれに違反してポイントを取得し、又は利用した場合、どのような対応が可能であろうか。
(1)懲戒処分、普通解雇の可否
まず、従業員が就業規則に違反してキャッシュレス決済でポイントを取得し、または利用した場合、懲戒処分や解雇をすることはできるかを検討する。
通常、従業員が就業規則に違反して取得するポイントは、現金に換算すれば僅かな額にとどまるものと思われるため、数回程度違反してポイントを取得した程度では、懲戒処分や解雇は困難と思われる。
違反回数が頻回で、かつ不正に取得したポイント数が多い場合には、懲戒処分も可能と思われるが、数十万ポイントに達するような場合でもない限り解雇は困難で、懲戒解雇はさらにハードルが高いものと思われる。
実際に何らかの処分を検討されている場合には、弁護士に相談されたい。
(2)刑事責任の追及の可否
では、従業員が就業規則に違反してキャッシュレス決済でポイントを取得し、または利用した場合、事業者は、その従業員を刑事告訴することはできるだろうか。
① 窃盗罪・業務上横領罪の成否
まず、窃盗罪や業務上横領罪は成立するか。
ポイントは.個人のキャッシュレス決済によって付与されるものであり、事業者ではなく、個人に帰属するものであり、また占有の「移転」も伴わないため、占有の移転を伴う窃盗罪や業務上横領罪が成立すると解することは困難と思われる。
② 電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)の成否
では、電子計算機使用詐欺罪はどうか。
ポイントは、キャッシュレス決済等による商品やサービスの購入によって自動的に付与されるものであるため、従業員が虚偽の指示や不正な指令を与える余地はなく、電子計算機使用詐欺罪は成立しないものと思われる。
他方、ポイントを利用する局面では、取得そのものが禁止されているか、事業者が管理しているものであって事業者がその利用を認めていないにもかかわらず、自己のための商品やサービスの購入時にデータであるポイントを利用する指示をしたと考えれば、電子計算機使用詐欺罪が成立する余地はあるものと思われる。もっとも、通常、従業員が経費の立替時に取得するポイントはごく少ないと思われるため、かなりのポイント数を取得したケースでもない限り、捜査機関が告訴を受理して立件する可能性は低いと思われる。また、そもそも従業員が正当に取得したポイントもあるケースが大半であり、その正当に取得したポイント数の範囲内のポイントが使用された場合は、従業員が経費の支払時に不正に取得したポイントが使用されたか否かが不明であるため、電子計算機使用詐欺罪での告訴は困難と思われる。
(3)民事上の責任追及
従業員が就業規則に違反してキャッシュレス決済でポイントを取得し、または利用した場合、損害賠償請求や不当利得返還請求をすることはできるか。
ポイントは、通常1ポイントが1円であるため、事業者は、従業員に対し、就業規則に違反して取得したポイント数と同額の金を損害賠償請求又は不当利得返還請求することができるものと思われる。
もっとも、従業員が利用したキャッシュレス決済手段において付与されたポイントの利用場面が限定されていたり、利用期限がある等、現金と同等の価値があるとはいえない場合は、実際に従業員が就業規則に違反して取得したポイントを利用して購入した商品やサービスのうちポイント利用額を損害額又は不当利得額と考えるか、1ポイント=1円未満で換算して損害額又は不当利得額とせざるを得ないものと思われる。
3 さいごに
以上、従業員が経費をキャッシュレス決済で立て替えた場合に付与されるポイントを中心に検討を行ってきたが、新しい領域であり不透明な部分が多い上、実際には以上で例示した要素以外にも多様な要素が絡むため、必ずしも以上で示した対応が正しいとは限らない。
実際に従業員に対して何らかの対応を採ること等を検討されている場合は、その対応の可否や内容、程度について、弁護士に相談されることを強くお勧めする。
本トピックが、従業員の経費の立て替えにおいて、キャッシュレス決済等を利用することを検討されている事業者の参考になれば幸いである。
以 上
※本トピック掲載の記事につきましては、転載自由となっております。
転載された場合、転載先のサイト様を紹介させて頂きますので、是非ご連絡いただければと存じます。
この弁護士に相談が出来る、智進ダイレクトへ