1 はじめに
  昨今、企業において、顧客からのクレーム等により労働者が疲弊し、精神的及び身体的に就業困難な状況が発生した場合に、企業としての責任のあり方が問題となることがある。かつては、顧客の立場を最大限尊重し、顧客優位によるクレーム対応が採られ続けていたという日本独自の背景が存在する。
  それにより、顧客が上位であり、企業(従業員)側は、顧客からの要求には可能な限り応えなければならないという構図が作られてしまっていた。
  もっとも、そのような企業側の対応により一部の顧客が自身の優位な立場を利用して、不合意又は行き過ぎた対応を企業側(従業員)に求めることにより、従業員の職場環境が悪化してしまうという問題が発生し、昨今では、そのような顧客による従業員に対するハラスメント行為が認識され、それに対して、企業としてはそれらのためにどのように適切な就業環境の確保をするかということが重要となっている。
これを適切に対処しなければ、企業側は、思わぬところ労働紛争を抱えることになりかねない。
  そこで、本稿ではカスタマーハラスメントに対する企業において注意すべき諸問題について検討していくこととしたい。

2 カスタマーハラスメントにおける法制度
⑴ まず、カスタマーハラスメントに対する現時点における法制度について概括しておく。そもそもカスタマーハラスメントについて、法的に定義づけをしているのは、「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(以下「労働施策総合推進法」という。)である。そして、そこでは、職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者の言動であって、その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより当該労働者の就業環境を害することをいうとされている。
  そのうえで、同法は、事業主に雇用管理上必要な措置を義務付け、国が指針を示すとともに、カスタマーハラスメントに起因する問題に関する国、事業主、労働者及び顧客等の責務を明確化するとしている。ただし、同法は2026年度中に施行される見込みである。
⑵ そうすると、企業としては、上記が施行される場合に備えて、カスタマーハラスメントに対する「雇用管理上必要な措置」を行っておくことが求められることになる。
  当該措置の具体的な内容としては、被害を受けた労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備、労働者の就業環境を害する当該顧客等言動への対応の実効性を確保するために必要なその抑止のための措置その他の雇用管理上必要な措置を採り、そのようなカスタマーハラスメントの相談又は相談への対応に協力したことをもって当該労働者が解雇その他不利益な扱いを受けないことも併せて明記されている。
  上記のような対応の具体例としては、①顧客に対しては、企業としてカスタマーハラスメントを許さない旨のホームページ上での告知、店頭でのパンフレットの掲示等を行い、②従業員に対してもカスタマーハラスメントの被害を受けた際の対応マニュアル及び訓練の実施、③現にカスタマーハラスメントを受けた際の相談窓口の設置等が想定されるところである。
  このようにカスタマーハラスメント防止のための法規制に対処するための具体的に取るべき施策等は一定程度の共通認識等は企業において醸成されつつあるところである。
  しかしながら、実際の実務において困難なことは、上記のような施策を実施するというよりは、カスタマーハラスメントが発生したとされる際の認定の困難さにあると推測される。これに関して、以下では私見を述べるものとする。

3 カスタマーハラスメントにおいて留意すべき点
  カスタマーハラスメントが発生した場合にそれをハラスメントと認定するかどうかという点は、顧客にとっても、従業員にとっても極めて重大な問題であり、企業としてはその判断を迫られた際には非常に窮することが予測される。そこで、いくつかの簡単な場合分けをして一定の基準を示すことを試みることにする。
⑴ 顧客が社会通念上許容されない言動を用いた場合
  顧客側が、「死ね」等の発言や土下座を求めたりする等の他人格攻撃に及ぶ言動や強要罪に当たるような言動を用いた場合は、その原因の発端が従業員側のどの程度のミスがあったか否かにかかわらず許されず、即時にカスタマーハラスメントと認定することになることは議論の余地はほとんど生じないと考えられる。
⑵ 顧客側が従業員を叱責する場合
  まず、顧客側が苦情等の前提となる基礎事実(従業員側のミス)がある場合を前提とした場合(当該苦情等クレームの基礎事実が存在しない場合はハラスメントに該当するとされる可能性が高いであろう。)、どこまでの抗議や叱責は許されるのかというのは境界線が非常に難しい問題である。
  これに関して、明確に基準を示す裁判例等は存在しないが、おそらくは以下のような要素によって判断されるものと推測される。そこでの考慮要素としては、①苦情等の前提となる基礎事実の内容(従業員側のミスの程度・顧客への影響の有無、程度等)、②その過程での従業員側の顧客への対応の内容、経緯、③顧客側の苦情等の申し入れの方法の必要性・相当性、④顧客側の要求内容の必要性、相当性等の事情が考慮されることになるであろう。
  企業が顧客対応をするにあたっては、従業員という人間が対応をする以上、人為的なミスも含めて苦情等の前提となる事実自体は日々発生することは避けがたいところである。そして、それにより被害を受けた顧客が企業側(従業員)に対して、苦情等を含めた抗議や叱責をするということ自体は日々起こりうるものである。そのため、顧客からの抗議や叱責を受けたからといって、それをもって直ちにカスタマーハラスメントと扱うことは出来ないであろう。
  問題は、どの程度の苦情や抗議やカスタマーハラスメントとして不法行為となり得るかであるが、顧客側が被った被害の重度やそれが発覚した際の従業員側の対応の経緯等によっては、企業側(従業員)が受任すべき限度も異なると考えられるため、企業としては、上記の①~④を個別事案毎に慎重に判断する姿勢が求められるといえる。
  もちろん、ここでは顧客側又は従業員側のどちらかに肩入れするような認定は避けるべきであり、中立客観的な判断を求められるということは云うまでもない。そして、そのような判断をするための基礎証拠として、企業側としては、従業員の顧客対応がどのように客観的になされたかを保全するための施策の実施が重要になってくると考えられる(防犯カメラ、録音等)。
  そして、カスタマーハラスメントは性的な言動によるセクハラ等とは異なり、従業員側にも対応に一定の落ち度があるケースも多いと考えられ、企業側(従業員のみではなく、その上司らも含まれる。)としても正当な叱責や抗議を受けるべき立場にあるという点である。また、企業としてもそのような正当な叱責や抗議は業務改善のチャンスでもあり、重要なものである。そのため、上記で述べた苦情等の方法、内容の必要性及び相当性という点も大切であるが、カスタマーハラスメント独自の大切な視点としては、苦情等の原因となった事実及びそれへの対応の過程という点も同様に重視して、ハラスメントに達する言動なのかどうかをしっかりと判断出来なければ、レピュテーションの悪化によって場合によっては企業の存続にも影響を与えかねない問題に発展するおそれがあるということは十分に認識しなければならない。

⑶ その他(顧客が従業員のフルネーム氏名の開示を求める場合の対処)
  また、カスタマーハラスメントの問題が論じられる際に、企業側が従業員を守るために、顧客側に従業員のフルネームの氏名を開示しないという対応が昨今増加していると考えられる。
  この点について、従業員のフルネームを開示しないということ自体は対応の一環として採用されても良いと考えられる。
  しかしながら、ここで見落とされてはいけないのは、顧客側が従業員のフルネームを求める理由には十分に留意すべきである。もちろん顧客側が不当な従業員個人攻撃を行うためにフルネームを求めることは論外であるが、おそらく多くの場面で顧客側が考えているのは、行為者の特定や自身の行った苦情等に対する「責任の所在の明示」という意味で行っていることが多いと考えられる。  そのため、企業としては、単に、従業員保護の目的のみのため、フルネーム開示を拒絶するのみでとどまるべきではない。明らかに不当な要求である場合は別として、代替措置を検討すべきであろう。例えば、従業員の特定に問題はないことを説明するとともに、対応部署名とその連絡先を知らせる等といった対応が考えられる。このような対応によって、フルネーム開示を求めるほどの被害意識を抱くに至った顧客の不信感の低減に寄与する場合もあるものと考えられる。

4 さいごに
  昨今のカスタマーハラスメントでは、他のハラスメントと比較してもその判断が難しい場面が多いものであると考えられる。特に上記で述べたような企業・従業員側にも落ち度があり、それに対する抗議や苦情がどこまで許されるのかという限界事例の判断には困難な場面が多々あると予測される。その際には、適切な事実確認、認定に基づいた判断が必要となり、弁護士への相談も含めた適切な対応を検討することをお勧めする。そうしなければ、思わぬ事態に発展してしまうという可能性もあるということは十分に留意すべきである。また、場面によっては、カスタマーハラスメントという用語だけを利用して、顧客対応を疎かにするような事態に陥ってしまうことも懸念されるところである。そのため、企業としては、企業・従業員を守りながら顧客からの信用を維持するためにもカスタマーハラスメントに対しては、従業員教育や顧客への周知を含めて適切な対応を取る必要があるということも十分に認識して、企業活動が行われることを祈念する次第である。

                       以上